Friday, August 25, 2006

●タイル破壊。

「わからへん、惚れた女にフラれたんかもしらん。そやけど、5000万の借金があったんは事実や」
 つい先ほど、おれは芦田が自殺したことを聞いたところだ。ショックだった。数年も前のことであったという。昔はこの近辺のスタジオによく出入りしていたのだが、最近はとんとご無沙汰していた。

「最初から話したるわ」吉田が言った。「ヒマな土曜日やった、あいつの事務所の女の子から電話あったんや。十三警察から連絡あったゆうてな」
 こういうことだったそうだ。
 十三の連れ込みホテルで自殺者が発見された。首吊り自殺だという。遺書はなかった。だが、遺体にあった名刺から、自殺者は芦田デザインの芦田一樹と警察は判断した…、ともあれ、芦田一樹が関係者であることは間違いなさそうなので、芦田デザインに連絡があったのである。
 電話を受けたのは、二十歳ほどの見習いデザイナーだった。どう対応していいのかわかず、オロオロしたあげく、芦田社長と仲のよかったスタジオ「四次元」の社長、吉田に連絡してきたのである。
 吉田もまた驚いた。十三警察と連絡をとり、芦田の自宅に電話をいれた。吉田と芦田の奥さんの二人で遺体の確認に行った。はたして、遺体は芦田一樹であった。

「遺書もないし、理由はなんもわからへん。葬式やいろんなことあったけど…。でもな、あいつの会社、整理せなあかんやろ。いきがかりじょう、おれがそれをすることになったんや」吉田は言った。
 会社整理の過程で、5000万ほど借金があったことがわかった。
「サラ金も多少あったみたいやけど、ほとんどは銀行とそれから友だちやと思うわ。わかるやろ。この業界、自転車操業やからなあ…」吉田は言った。
 個人事務所に近いデザイン会社は、ひとつの仕事の動きによって経営状態はコロリと変わる。芦屋デザインはある大手企業の仕事の一部を請け負うことで生計をなりたたせていた。が、なにかの事情で、その仕事が他のデザイン事務所に移ってしまったらしい。といって、それに代わる仕事がすぐに見つかるわけでもない。収入はストップした。だが、固定費はのしかかる。事務所代、そして、重たい人件費…。

 この界隈のデザイン事務所の社長たちは、相互扶助の精神で、あるいは同病相哀れむの精神で「ちょっと200万貸してくれや。今月の給料、払われへんねん」などと言いながら、何十万から百万単位で無利子無担保の貸し借りを日常的にやっている。これが普通の姿である。こんななかで、芦屋デザインの負債は5000万になったのだろう。
 こうしたことは、ほんとうは、企業の能力といえるような問題ではない。まして経営の姿勢や方向といった問題でもない。営業能力の問題とは多少はいえるだろうが、だが、結局のところ、そのときの「運」とでもいうべきものだ。これがこの業界の真の姿である。

「さーちゃん、なんとなくな~」という前置きとともに、吉田はぼそっと言った。「保険金自殺やと思うんや。借金あったことは事実やけど、銀行とか仲間内の借金やから、まあいや、どっちゅうこともあれへん。それより、このまま見通しのないままやってたら、あいつ、家族への保険金まであやしなると思たんちゃうか。こんな感じするんや」
 この意味を正確に理解できるほど、おれは保険についての知識がない。だが、言わんとすることは理解できた。芦田は借金苦というより、見通しのないままこの状態を続けることは、地獄をさらに下るという判断をくだしたのかもしれないのだ。そして、このような状態から、守るべきものを守るために、適切な時期を選んで自殺したという考えは正しいのかものかもしれないと思った。
 死にむかう絶望にも、救いは必要なのだ。

 梅田3番街。
 おれは豪柔流の空手で壁面のピンクのタイルを砕いた。そのとき、おれは鬼であった。周囲の人間たちは、おれを見ないフリしてその場をそそくさと立ち去った。
 酒くさい息が拳の痛みとともに意識された。

Thursday, August 24, 2006

●錆びた鋸を取りあげた。

 ナンさんは職人気質のデザイナーだった。この言い方は、おれにとっては「否定できない人間性」を意味している。気のいい人、正直な人間、計算などしない人間。こんな彼が亡くなった。喘息の持病で亡くなったという。
 彼には高齢の母がいた。これだけが近親者であった。

 武藤は広告代理店に勤めるコピーライターである。ナンさんが事務所で喘息の発作を起こしとき、事務所の女性が真っ先に電話をしてきたのが武藤であり、即座に事務所にかけつけ、救急車を手配したのも彼である。
 天満の喫茶店。「A列車で行こう」の軽快なリズムのなかで、武藤は怒っていた。入院してたのに、病院で救命できなかったのは、どういうことなんや!
 もっともな怒りだと思えた。
 喘息とは「そのとき」に適切な処置さえすれば、翌日からでも日常に復帰できるような病気らしい。なのに、入院中に「そのとき」を病院は見のがし、放置し、死に至らしめたのだ。なにしてたんや! 病院に責任はないのか!

 後日。天満のいつもの喫茶店。
 今日もまた「A列車で行こう」を聴きながら、おれと武藤は打ち合わせ後の雑談をしていた。話しは、ナンさんのことに移っていった。
「ナンさんな」彼は言った。「あいつ、愚痴こぼしとったんや。支払えへんヤツがおるんやて~」
 ピンときた。
「梅か」
「そや」
 広告代理店は「うわさの王国」である。人事の評価は社内の「うわさ」で決まる。
 うわさの生理は権力に違い者が有利なものだ。そして、広告代理店で権力に近いのは営業である。制作部の梅川は、ただたんに、小骨のような営業担当者の心証をよくするためだけに、人のいいナンさんへの支払伝票をきらなかったのだ。

 おれはプランを練っていた。このままでは、すまされないことだ! 金槌がいいか、鋸がいいのか。おれは錆びた鋸を取りあげた。
 赤い錆を見ながら、病院の担当者をどうすれば突きとめれられるのかを考えた。あの夜の宿直医と看護婦全員となると、大量殺傷だから鋸では無理かもしれない。こっちはナイフにするか。
 そして、梅。これはこの鋸だと思った。赤い錆がヤツの首の骨をかき切る音が聞こえるような気がした。

Tuesday, August 01, 2006

●裏切り爆弾。

 岸島は言った。
「なあ、さーちゃん。内柔外剛とかゆうやろ、あの反対や。ソトズラだけがええねん。それも異常にな」
 心斎橋の古ぼけた喫茶店。ブルドッグに似たちっちゃなワンちゃんが、入口付近の囲いのなかでママさんが相手してくれるのを待っている。
「聞いた話しやけど、あいつの息子、自殺したらしいんや。おれだけが被害者かと思ってたけど、考えれば、あいつの家族はもっと深刻な被害者やってんなあ。ま、もう、どうしようもないことやけど」少し沈黙があった。
「おれも、あのときは、子供に金のかかるときやったしなあ…」

 D広告代理店の田川勉が独立しよう、と思い立ったのがはじまりだった。そのためには、現場を指揮できる優秀なADが必要であった。そこで、いままで面倒をみてきたプロダクションの岸島栄二に誘いをかけた。一緒に会社をやっていこうやないか。にこやかに話しかけた。岸島も考えた。子供のこともある。だが、デザイナーの命なんて短いのかもしれない。ここで一発、勝負してみるのも悪くはない。新しい環境への興味もあった。
 岡山の比較的大きな町に、新会社はできた。
 スタートは順調だった。そのうち、地方都市にしては大きなキャンペーンのプレゼンテーションの話しが舞いこんできた。クライアントは銀行。これを獲れれば新会社の安定にも、飛躍にもつながる。岸島が二案、社長の田川の一案でこれに臨んだ。
 他数社の企画を抑えて、社長案が採用された。これは提示額を越えるものだったが、いま多少の赤をかかえたとしても、会社の将来の安定をもたらすものだと思えた。撮影、イラスト作成、コピーなど、仕事は順調にすすめられた。
 そんな、あとき、岸島は奇妙なうわさを耳にする―――この企画、パクリだ。見たことがある。
 身に覚えのないことだった。そんなことはありえない。
 岸島は八方手をつくして調べた。やがて、血の気がひける事実にぶつかった。根も葉もないうわさではなかったのだ。岸島はいっそう追跡した。事実を知りたかったからだ。
 そして、ひとつの事実に出遭った。社長の田川が、昔、手がけた企画をそのまま今回のキャンペーンに流用していたという事実を。
 あんたがやったことやないか。世間にはっきりさせてもらわんと困る。岸島は田川に迫った。
 が、うやむやの返答しか返ってこなかった。筋道がとおらない、奇妙な方向に話しがネジまげられる。こんなことの繰りかえしが何日も続いた。
 そのうち、事態は最悪の方向にすすんでいった。現場の指揮は、おまえにまかせてあったはずだ…。つまり、現場の監督問題にすりかえられていったのである。
 町とはいえ、岡山の田舎町である。ましてデザインの世界はせまい。いつのまにか、世間ではパクリの岸島として烙印を押されていた。どこの喫茶店にいっても針の視線が返ってくるようになっていた。

「あいつの息子の自殺もな、あいつの性格というか…、ああいう考え方に原因あると思うんや。自分のソトヅラを保つためには、身内にも、仕事仲間にも、人間とは思えんような仕打ちをする。相手のことなんか頭にないんやな。奥さんも暴力うけてたみたいやし、息子にも同じように身勝手に、虐待みたいなシツケをやってたらしいんや」
 岸島はぽつねんと言った。

 その日のテレビは、このニュースに占領されていた。

 昨日、首に鎖で爆弾をつけられた男が警察に駆けこんできたという。岡山の小さな町でのことである。
 見知らぬ男が突然、田川家に侵入し、田川氏の首に金属ケースを鎖で巻きつけ、数時間後に爆弾をセットした、と言い残して立ち去ったというのだ。金属ケースを首に巻きつけられた田川氏が警察に助けを求めてやってきたのは、それからすでに二時間もたっていた。
 警察としては、金属ケースも鍵のかかった鎖も頑丈だったし、さらに、なにより犯人が言い残した「数時間」が正確にどれだけの時間なのかわからなかった。また、首につけられたものが、爆発物かどうかもも検証できなかった。また、爆発力の大きさも見当がつかなかった。

 また、男が警察にきてから、この状況を把握するまでに二時間以上を要していた。理解できないまま、事態が異常であると判断した警察は、自衛隊に爆薬物処理班を要請した。
 だが、あとは見守るしかなかった。
 男は警察署の駐車場の中央に置かれ、警官によって盾越しに取りかこまれていた。田舎町に岡山駐屯所の処理班がくるのにさらに一時間を要した。この間、男は駐車場の真ん中で、絶えずなにかを叫び続けていた。報道グループはさらに遠くから、でも、可能なかぎり男の表情をとらえようとしていた。

 自衛隊岡山駐屯所から処理班が到着し、爆発物処理用の甲虫のような車が男にむかって動きだしたとき、そのとき、男の場所から、周囲二メートル四方に金属偏とともに血と肉とびちった。くぐもった音だった。
 周囲の警官も、これを中継していたテレビカメラも報道陣も、一様に安堵の吐息をもらした。爆発力がこの程度のものだったからだ。

 電話が鳴った。
 岸島の声が聞こえてきた。
「怖いな~、さーちゃんは」