●タイル破壊。
「わからへん、惚れた女にフラれたんかもしらん。そやけど、5000万の借金があったんは事実や」
つい先ほど、おれは芦田が自殺したことを聞いたところだ。ショックだった。数年も前のことであったという。昔はこの近辺のスタジオによく出入りしていたのだが、最近はとんとご無沙汰していた。
「最初から話したるわ」吉田が言った。「ヒマな土曜日やった、あいつの事務所の女の子から電話あったんや。十三警察から連絡あったゆうてな」
こういうことだったそうだ。
十三の連れ込みホテルで自殺者が発見された。首吊り自殺だという。遺書はなかった。だが、遺体にあった名刺から、自殺者は芦田デザインの芦田一樹と警察は判断した…、ともあれ、芦田一樹が関係者であることは間違いなさそうなので、芦田デザインに連絡があったのである。
電話を受けたのは、二十歳ほどの見習いデザイナーだった。どう対応していいのかわかず、オロオロしたあげく、芦田社長と仲のよかったスタジオ「四次元」の社長、吉田に連絡してきたのである。
吉田もまた驚いた。十三警察と連絡をとり、芦田の自宅に電話をいれた。吉田と芦田の奥さんの二人で遺体の確認に行った。はたして、遺体は芦田一樹であった。
「遺書もないし、理由はなんもわからへん。葬式やいろんなことあったけど…。でもな、あいつの会社、整理せなあかんやろ。いきがかりじょう、おれがそれをすることになったんや」吉田は言った。
会社整理の過程で、5000万ほど借金があったことがわかった。
「サラ金も多少あったみたいやけど、ほとんどは銀行とそれから友だちやと思うわ。わかるやろ。この業界、自転車操業やからなあ…」吉田は言った。
個人事務所に近いデザイン会社は、ひとつの仕事の動きによって経営状態はコロリと変わる。芦屋デザインはある大手企業の仕事の一部を請け負うことで生計をなりたたせていた。が、なにかの事情で、その仕事が他のデザイン事務所に移ってしまったらしい。といって、それに代わる仕事がすぐに見つかるわけでもない。収入はストップした。だが、固定費はのしかかる。事務所代、そして、重たい人件費…。
この界隈のデザイン事務所の社長たちは、相互扶助の精神で、あるいは同病相哀れむの精神で「ちょっと200万貸してくれや。今月の給料、払われへんねん」などと言いながら、何十万から百万単位で無利子無担保の貸し借りを日常的にやっている。これが普通の姿である。こんななかで、芦屋デザインの負債は5000万になったのだろう。
こうしたことは、ほんとうは、企業の能力といえるような問題ではない。まして経営の姿勢や方向といった問題でもない。営業能力の問題とは多少はいえるだろうが、だが、結局のところ、そのときの「運」とでもいうべきものだ。これがこの業界の真の姿である。
「さーちゃん、なんとなくな~」という前置きとともに、吉田はぼそっと言った。「保険金自殺やと思うんや。借金あったことは事実やけど、銀行とか仲間内の借金やから、まあいや、どっちゅうこともあれへん。それより、このまま見通しのないままやってたら、あいつ、家族への保険金まであやしなると思たんちゃうか。こんな感じするんや」
この意味を正確に理解できるほど、おれは保険についての知識がない。だが、言わんとすることは理解できた。芦田は借金苦というより、見通しのないままこの状態を続けることは、地獄をさらに下るという判断をくだしたのかもしれないのだ。そして、このような状態から、守るべきものを守るために、適切な時期を選んで自殺したという考えは正しいのかものかもしれないと思った。
死にむかう絶望にも、救いは必要なのだ。
梅田3番街。
おれは豪柔流の空手で壁面のピンクのタイルを砕いた。そのとき、おれは鬼であった。周囲の人間たちは、おれを見ないフリしてその場をそそくさと立ち去った。
酒くさい息が拳の痛みとともに意識された。
